More Than New JACK PURCELL.
人生のジャックパーセル

Vol.8 Taketo Masui

2025年に誕生から90年を迎えたジャックパーセルは、「歴史へのリスペクトと未来への継承」をコンセプトに、自らのものづくりを見つめ直し、「ジャックパーセル 1935」をローンチしました。このシューズと同じように、ルーツを大切にしながら次の一歩を選び続けてきた人たちに、自身のファッションの遍歴や仕事に対するプライドを尋ねました。紡ぎ出される一つ一つの言葉は、このシューズの魅力と重ねることができます。

答えのない世界に出会って
彫刻家としての道に進む

生まれも育ちも鎌倉で、いまもずっと鎌倉に住んでいます。高校では、とくに勉強ができたわけでもなく、美術だけは得意といえるほどじゃなかったけど、嫌いじゃなかった。あの頃は(90年代)、ファッションやカルチャーといった自分に興味のある分野は大学と結びつかなくて、国語とか数学とか、一般科目で学びたい進路を決めなくてはいけませんでした。

最寄りの駅前に金沢アトリエという美大専門の予備校があり、その存在は小さな頃から気になっていたのですが、たまたま同じクラスの友人をきっかけに通い始めました。友人も紹介者割引みたいな特典が目当てだったくらいの、軽い気持ちで僕を誘ったと思いますが、こうして僕は美大という大学に進学できるかも、という一発逆転のチャンスを掴んだわけです。

そこでの授業は、机に向かって、暗記して、正解を答えるものではなく、見たものを正確に描いたり、自分の想像をかたちにするもの。つまり答えがないものを誰かが評価する世界に出会いました。その中で、初めて水粘土に触れて、彫刻への道が拓けました。それまで学校の授業で使っていた油粘土に得意な感覚はなく、それは材質が合っていなかったからだとわかりました。制作物が先生に褒められて、勘違いして、その気になって勉強して。おかげで東京芸術大学の彫刻科に入れました。

周囲には何年も浪人して基礎や技術を磨いてきた人がいて、入学した瞬間に自分との実力の差を感じました。だから4年で卒業しても職業として生きていけるイメージが湧かず、大学院、研究生、博士課程と残り、その後も助手や助教、非常勤講師として、結果的に20年近く、大学に関わる人生になりました。

普通はみんな学生のうちに何かしらのかたちで個展を開いたりするものですが、僕は30歳を過ぎてからと、かなり遅いです。その後は2年おきくらいでコンスタントに続けてはいましたが、展示に合わせて無理やり作品を作ることをやめ、今は作品ができたら発表する、というスタンスです。ペースは落ちましたが、それは自然で、自分に合っています。

時間とともに育まれる心地よさ
好きなものは、捨てなかったもの

ファッションに興味を持ったのは中学生の頃。当時はコンビニで読む雑誌しか情報源がなく、むしろ雑誌に興味をもたされていたのかもしれません。部活で入るようなスポーツは長続きせず、高校生の頃までずっとスケートボードに夢中でした。現在と違って、効率的に上手くなる術がなく、先輩から回ってくる海外のスケートビデオを擦り切れるように見るくらい。粗い画質を見ながら自己流で技を磨いていても、上達に限界を感じていたので、うまくなるよりもかっこよくなりたくなりました。どんな靴を履き、どのくらいのパンツの太さや丈で滑るのか、そっちに夢中になりました。

すると細身のリーバイスにオールスターを履いて滑っている海外のスケーターがかっこよくてコンバースに興味を持ちました。オールスターは既に知られた定番でしたが、ジャックパーセルは少し違かった。王道ではないけれど、裏原宿の人たちが黒いキャンバスやレザーのジャックパーセルを履く姿を『BOON』とかで目にしていたし、それを選ぶだけで「この人は何か好きなんだろう」と感じさせる、ちょっと目立てる存在だったと思います。

僕も当時、古着店で買った、少し珍しい仕様のジャックパーセルが小さな自信になっていました。ずっとデッキシューズだと思い込んでいたくらい、シューズの出自や知識はなかったけど、何を言われても、この存在を実際に持っている。それが自信になるって、意外とあるんですよね。

しかし47歳にもなり、この取材をきっかけに「自分は何が好きだったのか」を考え直してみました。雑誌を見て好きだと思わされていたものの中には、途中で手放したり、未だに残しているものもある。そう考えると今残っているもの、やり続けているものが「好きだったもの」という感覚です。このアトリエにも、古い剥製がたくさんあります。金銭的な希少価値はないし、世の中に欲しがる人も少ない。でも、誰かによって作られた、今はもう再現できないものは、捨てられずに残してしまう。結局、明確な基準は今もわからないけど、事実として「捨てなかったものが好きなもの」ということになるのでしょうか。

持つよりも、持たないことが良いとされる時代です。物に囲まれない暮らしに憧れるけど、僕はそこにどうしても辿り着けない。新しいものは最初、どこかよそよそしくて、時間をともにすると心地よくなっていく。僕にとって「心地よさ」とは、関係性の中で育まれるものだと思います。

流行らないものは廃れない
そこにジャックパーセルの価値がある

未だにスマートフォンを持っていませんし、何かをネットで調べる行為はほとんどしません。時間との関係で得た情報が、検索によって一瞬でなくなってしまうネガティブな感覚があるからです。けれど、ジャックパーセルについて調べてみました。すると僕が持っていたこのモデル名が「VINTAGE」だと思い込んでいたら「VANTAGE」だったんです。ただ、正しい名前は正直どうでもよくて、自分がちょっと普通のモデルと仕様が違うから、きっとヴィンテージの復刻だろうと思い違って過ごしていた「時間」の方が重要だったりします。
彫刻とは、基本的に用途はなく、触っていいものかさえもよくわからない。でも靴は部屋に置いて眺めてもいいし、形の中に自分の足を入れて長時間過ごすこともできる。つまり人間との関係を築きやすいプロダクトであります。それはファッションのジャンルの中でも特殊な存在だと思います。

新しいジャックパーセル 1935を履いていると、スケートの時に感じた地に足がついた感覚とまるで違いました。検索して得た情報から過去を想像したり、歴史を振り返ることができましたが、いつの時代もオールスターのように絶対的な一番ではなく、常に3番手、4番手で、ずっとそこに居続けている。王道にならない良さがあります。大きく流行ることもないけど、誰も忘れない、廃れない存在でもある。昔からジャックパーセルには「逆に」とか「あえて」とか「外しで履く」みたいな言葉を使う人が多いのは、大衆になりすぎていない証拠です。

若い頃に手に入れたジャックパーセルを捨てずにずっと残していたから、昔のことを思い出して話すことができました。所有していなかったら言葉に説得力はなく、自分の記憶だけでここまで話すこともできないし、今日の機会も得られなかったでしょう。好きだから残したのか、残っていたから好きなのか、思い直したけど、それは今もわかりません。でも、ジャックパーセルという存在自体、流行の波に乗り続けて残ったシューズではない。その時々で、僕と同じような誰かに「あえて」愛され「逆に」選ばれ続けて、気づけば90年以上が経っている。それが大きな魅力だと思います。

増井岳人
Taketo Masui

1979年、神奈川県鎌倉市生まれ。彫刻家。東京藝術大学美術学部彫刻科、同大学院美術研究科修士課程を修了。主に土や陶を用い、人体や身近なモチーフをユーモラスな造形へと昇華した作品を制作。2024年、HECTAREにて縄文土器片を用いた作品などを発表する個展「piece/peace」を開催。2025年には根本歩とのユニット「36C」として「NO SALE」を発表するなど、国内各地で個展を開催するほか、東京造形大学で非常勤講師を務めている。

STAFF CREDIT
Photography_Asuka Ito
Interview & Text_Masayuki Ozawa (MANUSKRIPT)
Producer_Narumi Yoshihashi (MANUSKRIPT)

JACK PURCELL 1935