人生のジャックパーセル
Vol.5 Daisuke Obana
誕生から90年を迎えたジャックパーセルは、「歴史へのリスペクトと未来への継承」をコンセプトに、自らのものづくりを見つめ直し、「ジャックパーセル 1935」をローンチしました。このシューズと同じように、ルーツを大切にしながら次の一歩を選び続けてきた人たちに、自身のファッションの遍歴や仕事に対するプライドを尋ねました。紡ぎ出される一つ一つの言葉は、このシューズの魅力と重ねることができます。
だから足元から服を考える
高校三年生の時、新品と古着を扱うショップで働いていて、当時『Boon』という祥伝社の雑誌でジャックパーセルに関する取材を受けました。何を話したかまでは覚えていませんが、それが初めてのメディアでのインタビュー体験でした。もう30年以上も前ですが、当時からもう斜め三つ星のチャックテーラーとかはそれなりに高く、自分みたいな学生にはジャックパーセルのほうが買いやすかったのでしょう。下北沢の古着店の先輩たちにも「今はまだジャックパーセルは穴(狙い目)だよ」とおすすめされました。
その時に持っていたのはそれ一足だけ。アウトソールは水青だったかな? 白の方が古いですよね。今よりトウが尖っていたような。サイズは少し大きめで、気に入ってよく履いていました。キレカジブームの終わりかけみたいな頃で、<チャップス ラルフローレン>の古着のジャケットや<ノーマンヒルトン>のネイビーブレザーに「41カーキ」のチノパンとか合わせていたかな。そういうトラディショナルな格好に、ジャックパーセルが合わせやすかったんだと思います。
90年代は古着店でずっと働いていて、2001年に自分でブランドを始めました。それから割とすぐに、コンバースさんとの取り組みが始まりました。印象に残っているのはオールスターのハイカット。確かまだチャックテイラーの3つ星ロゴも比較的に自由に使えた頃で、インナーをホースハイドにしたりして。コンバースさんもすごく気合いが入っていたと思います。ジャックパーセルのコラボレーションは「CONVERSE ADDICT」がスタートしてからじゃなかったかな。いろいろなモデルを作るようになって「どうですか?」って提案されて、確かアイボリーのスエードで作ったんじゃないかな。
自分にとってジャックパーセルは、オールスターのように服から自然と選ばれる靴ではありません。今日はジャックパーセルを履くから、何を着ようかと考えるシューズです。主張するディテールが多いからでしょう。トウの先端の青い“スマイル”も、バドミントンシューズとして前足部にかかる圧力を受け止めるために設計された補強ですよね。こうしたディテールも今となっては動きやすさとか、一日を気持ちよく活動するためのデザインではなく、ファッションとしてのディテールになっています。それが90年代は、ヴィンテージを選ぶこと自体に意味があったし、外しで履く価値観も楽しめました。何よりジャックパーセルをカート・コバーンの影響で裏原宿の代表的な人たちがみんな履いていて、今よりも世の中にとって身近な存在だったはず。今はむしろ「履きに行く」感覚が強いスニーカーとも言えます。
普遍性よりも、匿名性の高い靴が好きです。それが自分の今のファッションとフィットして、そこまで定番すぎないものを選びます。ジャックパーセルであれば、白の方がアッパーにディテールが馴染んでいて合わせやすい。ただ、今日履いているネイビーは、シューズとしての完成度は高いと思います。紺色って難しいんですよ。ステッチのバランスがよく成立していると思います。だから靴好きにとっては「これが履きたい」と思う色なんじゃないかな。
その時間に共感してもらって伝わるもの
ジャックパーセルは、カルチャーではなく、ヴィンテージの歴史の中で選んだスニーカーです。昔はMA-1にヴィンテージデニム、足元はカレッジカラーのランニングシューズみたいな、今じゃ派手だと思うスタイルが普通だったから、コンバースって良い意味であっさりしてました。ただ、セメントに足突っ込んでいるみたいに固かったです(笑) でも、この新しいジャックパーセル 1935は、最近のオールスターと一緒で、ヒールの内側を少し高くして、足入れも広くしている。見た目を変えずに、内側に真剣に向き合ったのは流石! 自分と同世代にも響きそうです。それからサイドテープの厚み、このコバ感が好きなんです。N.ハリウッドのコラボレーションの時も、このテープを何枚も重ねたい、とリクエストしていました。アーカイブを見ていると、この強さが印象的です。
スニーカーを作るのは大変です。ステッチの入る位置や糸の太さ、ピッチ(間隔)とか、1ミリの微差が全体のデザインに大きく影響します。服では許容できる範囲でも、時計のような精密機器を触るくらいの意識でデザインしないと、すごく大味に見えてしまう。これもかなり試行錯誤されたと思います。こうしたこだわりが品質に表れやすいのが奥深いところです。面倒臭さを楽しめないと、良いスニーカーは作れないと思います。
クオリティとは物事の中身、水準の高さ、素材の耐久性、デザインの完成度、コンセプトとの整合性など、いろいろな要素の積み重ねです。その中でも自分には「完成するまでの時間」が基準の一つです。例えばN.HOOLYWOOD UNDER SUMMIT WEARでは、肌の弱い人が着続けたらどうなるか、また洗い続けたらどう変化するか、じっくり時間をかけてテストしています。自分は乾燥機になんでも入れる派で、あのパサパサとした肌触りが好きとか、いろいろあります。プロダクトに関わる人が納得したものに共感してくれて、初めて伝わるものだと思います。
しかしクオリティとは、クリエイティブでありたい。長くヴィンテージバイヤーをしてきたから、忠実な復刻は究極の真似でしかないんです。古いものはあくまでインスピレーションの一部。熟知している人が再現する、寄せていくクリエイティブが一番苦手かな。ただ、古着にまったく関わってこなかったデザイナーが、当時に憧れてそのまま作りたいと思うものは、かっこよく見える時があります。過去を知っていると知らないとでは意味が違います。そう考えると、ジャックパーセル 1935は少しずつ細部を変えている。それはすごい時間と努力の積み重ねであり、クリエティブだと思います。何十年も同じものを見続けていたら、何を目指して良いかわからなくなる時もある。でも、変えたらジャックパーセルじゃない。そうした極限の中で重ねられた痕跡が伝わって、美しく見えてきます。
尾花大輔
Daisuke Obana
1974年生まれ 神奈川県出身。高校時代から古着屋で経験を積み、その後、原宿の名店でバイヤーやショップマネージャーを兼任。1996年に「go-getter」立ち上げに携わり、ヴィンテージブームの中で70~80年代のデザイン性の強い古着をセレクトし数々のムーブメントを作る。「古い物とコンディションが良い物ほど価値がある」という古着界の価値観に疑問を抱くようになり、店舗内でリメイクやオリジナルの展開をスタート。2000年にショップ「Mister hollywood」を原宿にオープンし、翌年にブランド「N.HOOLYWOOD」を設立。2002年に初コレクションを発表後、東京コレクションに参加。2010年から発表の場をNYコレクションに移す。東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火リレーのユニフォーム、セキュリティ、ワークフォースのデザインを監修。
STAFF CREDIT
Photography_Asuka Ito
Interview & Text_Masayuki Ozawa (MANUSKRIPT)
Producer_Narumi Yoshihashi (MANUSKRIPT)
